62歳からの楽しい起業

ロビームにまつわる研究内容や所感を日々記録します。

姫野部長の思い出

私が社長になったときの経営企画部長は姫野部長でした。ザバス和光を企画したときに、二人で和光市橋本市の現地調査をご一緒しました。当時の佐藤社長から、「現地を見たか?」と必ず質問されるからねといいながら見て回りました。明るい人で頭の良い優秀な方でした。橋本は地主さんとの間に入った銀行上がりの策士にいいようにやられましたが、和光店は何とか地主Aさんと良好な関係をつくることができて計画がすすみました。東急不動産が建設と資金スキームを担うことになり、企画書を作成、役員会の内諾を得ることができました。しかし直前になって東急不動産が降りてしまい、窮地に立たされました。スキームの変更が起きたのです。ここで、社長の許可を再度とらなければいけません。その場面で、何と私は無許可で新しいスキームを強行しました。理由は、和光の地主さんの変心を恐れたからです。問題になりました。法務部のK課長が呼ばれ、私への詰問と法務部の見解が議題でした。今野課長の意見「リスク上は、増減がない」でした。のちにK課長に問うたところ「石原さんがあまりに真剣でしたので、あのように言いました」武士の情けでした。役員会で再び問題になりました。姫野部長が「今後このようなことがないように石原には言ってきかせました。石原は独断専行のところがありますが、ギリギリ、サラリーマンなので許してやって下さい」とかばってくれました。

姫野さんは、和光店が開業する前に脳腫瘍で倒れ、亡くなりました。最後に湘南の病院で「石原、ものが握れない、力が入らない」といつになく元気がありませんでした。一生懸命励ましましたが、浮かない顔が最後まで晴れませんでした。

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生きていれば社長も張れた人物なのに。