62歳からの楽しい起業

ロビームにまつわる研究内容や所感を日々記録します。

新潟店

1993年の春。高槻の西原社長に会いにいきました。明治スポーツプラザ新潟店開業の直前です。当時、新事業開発の馬場常務は西原社長と折り合いが悪く、森下部長の計らいで、新事業開発部兼務となり、時折、本社で馬場さんにお目にかかっていました。森下部長と西原社長も仲が悪く難しい状況でした。私と言えば、ひととおりフィットネスクラブの調査研究を終え、実際の明治スポーツプラザ調査の段階でした。業績は最悪でした。当時の企画会社「みのり」の企画が甘くて施設の収容力が足りず、ゴルフレンジを潰してスタジオに変更しなければならないというていたらくでした。「みのり」は運営受託で経済的なリスクは少ないのですが、明治スポーツプラザは初年度5千万円以上の経常赤字をくらっていました。当時の私の知識で西原社長にインタビュー、失礼な発言もあったように記憶しています。その夜、高槻市内で会食しました。そして、その日に夜行で新潟に向かいました。早朝に新潟駅到着、馬場常務が駅に迎えに来てくれていました。単身赴任のマンションに行って朝食、休憩のあと、新潟店の建設現場に行きました。ちょうど、フロントの面々が研修をしている最中でした。高槻店(1号店)ではインストラクターは「みのり」の社員ですがフロントは自社の社員でしたのでクラブ自体に一体感がなく不採算の原因にもなっていました。「また新潟でも繰り返すのか…」と暗澹たる気持ちで見学しました。この店が後に会社全体を揺るがすとは知るよしもないことでした。