62歳からの楽しい起業

ロビームにまつわる研究内容や所感を日々記録します。

千葉2店閉店

2010年のある日のことだと記憶しています。当時の経営企画部戸谷課長が午前中会議で川崎のオフィスを訪れました。「今日はゆっくりお話する時間が欲しい」と真剣な雰囲気でした。午後からの二人きりの面談で、「千葉の儲からない店を閉店するべきだ、損切りをするべきだ」という説得に来たのでした。川島部長の指示で。回復の可能性を私がひとくさり話した後、彼は言いました。「千葉の行徳店、本八幡店は難しいと思う、ここは閉店して出直すのが明治スポーツプラザに未来のために最適な方法です」と。追い打ちをかけるように「この2店を除けば業績は安定している、この2店の赤字で、ほかの店の黒字が消えてしまっている。従業員の賞与や昇給が十分でないのはこの2店があるからではないですか?」しばらく沈黙しました。全従業員の困窮は私のM&A失敗のせいであること、みっともなさは受けなければいけない、大変だが立て直しは私の仕事だ、逃げ出したい、いろいろな思いが錯綜する沈黙でした。「わかった、そうします」

戸谷課長が川島部長に報告した際、「え!そんなにあっさり同意したの」と驚いたそうです。孫正義氏がツイッターで「損切りができない経営者はケチだ」と書いていました。その通りだと思います。苦渋の決断でしたが、受け入れるしか再生の道はないと覚悟しました。会社もやめるつもりでした。結局、優しい明治製菓は私を残しました。そして再生のための苦難の道、指定管理や介護予防に活路を見いだすしかありませんでした。私の誤った判断の顛末です。川島部長と児島取締役はM&Aの決断のときに、止めた方がよいと何度も忠告してくれました。聞こえなかった私の不明です。痛恨のミスでした。

言い訳を残しておきます。ずっと以前に中島先生(元フォレスタクリエーション専務で明治スポーツプラザの経営コンサルタント)にフォレスタの買収の話を打診していました。「できたらいいね」との回答でした。心の中に可能性がモヤモヤしていました。数年後。売却の話が新生銀行からきました。中島先生に買収の調査、判断をおねがいしたところゴーサインがでました。失敗が明らかになった頃、中島先生、山下さんを呼びました。私は淡々と失敗の弁を述べました。山下さんは「今日は、お怒りの言葉があるだろうと思っていたのに、恐縮です」との話がありました。決断したのは私です。約10億円の損害を被りました。買収金額が高かったのは買収競合のオアシスがあったからです。はじめは収支の合う金額を意識していましたが、後半は買収が目的になってしまいました。当時の古田部長への見栄もあったかもしれません。経営者として未熟であったことを認めます。これが、のちの明治スポーツプラザ売却の重大な伏線になりました。