62歳からの楽しい起業

ロビームにまつわる研究内容や所感を日々記録します。

中島先生

1994年の夏、フィットネスマネジメントの中島先生を訪問しました。表参道にほど近い青山アパートにオフィスがありました。山下さん(現ヒカリの常務)がお茶を出してくれました。それまで幾人かのコンサルタントにお目にかかりましたが、「それでいいのではないか」「ご立派」とか、歯の浮くような言説の人ばかりで、業界のコンサルの能力に疑問を抱いていました。大阪の甲元さんから変わったコンサルがいるので「会ってみたら」とのアドバイスがあり早速訪問しました。先生がフォレスタクリエーションの専務をやめ独立したばかりの頃です。私の考えを散々こき下ろされました。「小学生の意見だね、実際は大人の経営でなければ、運営できない」「一番あぶないのは、生半可な経験と知識で運営することだ」などなどボロカスでした。当時の石渡社長に、「中島先生にコンサルをお願いしたい」と進言しました。月10万円のフィーでした。広告の内容、プロモーションに原則、プログラム内容まで全て教わりました。なかでも一番重要なことは価格設定でした。小さな紙に「入会金3万円、月会費1万円で成功する。入会金2万円、月会費9千円で大成功する。」と書いてありました。直ちに、書類にして、明治製菓の新事業開発部長に提案しました。部下の木内君に伝言で「あれだけの投資をして、その価格では元が取れない、石原は何を考えているのか、まかりならない、本人に伝えておけ」とのことでした。無視していたところ、専務臨席の会議で、2万円、9千円を主張しました。結果、専務からのお許しが出て低価格路線が決定しました。「飴チョコで成立している会社が安い価格で売って何が悪い!」との主張を笑って認めてくれた専務には今も感謝しています。

後に、明治製菓の一階の喫茶店で、中島先生と専務、私で話をしました。専務が言いました。「石原は、熱意と志はあるがソロバンが足りない、中島先生、石原の足りないところを補ってほしい」とお願いしてくれました。結果3日2700名の当時の集客日本新記録を打ち立てることができました。

一年の契約でしたが、その後はあまり相談もしませんでしたが、毎月10万円、10年間払いました。ある日、中島先生から「心苦しいので契約をやめましょう」といわれ、コンサルフィーの支払いは停止しました。しかし、その後も単発の調査をたくさんお願いしました。和光店や高槻デルタ、成立しなかったたくさんの案件のマーケット調査はすべて中島先生にお願いしました。

その後、中島先生はコンサル開始の時からの夢であったクラブ運営に進出され、千葉や九州、四国に店舗展開されました。軌道に乗り始めた頃、先生は病魔に冒され第一線をひくことになりました。実に残念なことでした。のちに明スポがフォレスタを買収したことの遠因でもありますが、その話は別の機会で…