62歳からの楽しい起業

ロビームにまつわる研究内容や所感を日々記録します。

「第二種電気工事士」合格記

 2021年1月26日、第二種電気工事士の合格通知書が届きましたので報告します。仕事に使えるかはともかく、この年齢での合格はとても嬉しく思います。ソーラーシェアリング普及や施工に少しでも役立てば本望です。あとは神奈川県に申請すれば、めでたく電気工事士の免許がいただけます。

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 2019年よりCHO技術研究所(太陽光発電)にお手伝いに伺うようになってから、電気知識の不足を痛感していました。発電設備を扱うには資格が必要なことを知り、一念発起して受験することにしました。筆記は何とかなると思っていましたが、技能試験には難儀するだろうと、はじめから予想していました。

 2020年6月、「すいーっと合格」という人気書籍を読み始めました。「第二種電気工事士」筆記試験の準備でした。はじめにざっと通読しましたが、全く頭に入らず、約1ヶ月、テキストの全文筆記で対応しました。そのあと記憶をはじめました。本の付録の暗記帳をダウンロードして単語帳のようなカードを作成して記憶に努めました。
 9月の終わり頃、過去問に挑戦してみました。2回分やりました。60点が合格ラインです。ともに70点を超える成績で、少し安心しました。しかし、正解は記憶問題が多く、理論問題では歯が立たず、納得できる実力にはなりませんでした。

 10月4日の試験当日は、悲惨でした。東京ビッグサイトの会場でしたが、ろくに食事もせずに、リポビタンD一本の栄養補給で、頭がボーっとしていました。1時間前に到着するつもりでしたが、受験者が多く、並んでいるうちに試験開始時間が迫ってきました。受験者は学生や職人風の若い人ばかりでした。女性は1割もいません。同一フロアに約3000席、あまりにも広い会場で自分の席にたどりつけず、係の女性に助けて貰って、ようやく自分の席に着けました。頭がどうかしている自分に焦りました。

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 時間がきて、試験開始。自分の名前を書類に記録するのにも手間取りました。頭が働かず、約30分(制限時間2時間)は何が何だかわからない状態でした。ようやく自分を取り戻し、時間一杯まで試験会場で粘りました。帰り際に試験係官の皆さんが私にだけ深々とお辞儀をしてくれました。年齢なのか、関係者と誤解したのかはわかりません。翌日、主催者から正解が発表になり、持って返った試験解答と照合した結果、70点でした。合格レベルまでは達しているものの、まことに不本意な結果でした。

 10月20日から、筆記合格を確信して技能試験の準備を始めました。ネットでホーザン社製の工具と「準備万端シリーズ」技能試験練習用材料を4万円くらいで買いました。材料にDVDがついており、複線図を書かない方法を薦めていました。もともと複線図は苦手なので、その方法にしました。「シロコンブ、クロコンスイ、上上・下下、スイッチブ」という呪文だけで結線する方法です。

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 他にホーザンのYouTube動画も参考にしました。あとは練習あるのみ、毎日、1作品を製作しました。はじめは2時間くらいかかっていましたが、最後は30分以内でやれるほど早くなりました。(試験は40分です)都合、60回くらい作りました。妻から、材料追加購入のアドバイスがあり、夢中で練習を重ねました。

 途中の11月22日、筆記試験合格をネットで確認。合格通知も郵送され、とても嬉しく思いました。

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 12月3日夜、出張で鹿島に泊まった折に、テキストを詳細に読んで自分の足りない部分をしっかりと認識しました。その後は、施工に迷いがなくなりました。最終週は寝食を忘れて試験のことだけに取り組みました。

 12月9日朝、出勤前に試験会場を下見しました。当日に迷わないための準備です。試験前日、これまでにない感覚がありました。「やり尽くした、落ちても本望」という感覚が訪れました。私の人生のビッグイベント、フィットネスクラブ新店開業前日の感覚です。高校受験、大学受験、入社試験では、その感覚はありませんでした。多分、これまでの受験では、やり尽くしていなかったのでしょう。

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 12月12日、試験当日、前の晩、早めに休んで、よい寝覚めでした。「電気屋優tuber」さんのアドバイスもあり、1時間半前に会場前に到着しました。試験会場の教室の一番乗りでした。幸いなことに五人掛けの席にひとり、それも一番後ろで他人に見られることもないので落ち着いて施工できました。

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 材料をみただけで、候補問題1,易しい問題だとわかりました。(事前公表13の候補問題から一問出題)ラッキー! 練習では時間節約のため、メジャーを使わず、手の長さで測っていましたが、本番では、易しい問題なので丁寧にメジャー計測でやりました。スピードを求めず、確実にすすめました。結局、5分前に見直しも終了しました。よほどのポカがないかぎり合格だと確信しました。唯一、リングスリーブのはみ出し線が2ミリから5ミリと習いましたが、一箇所だけ1ミリでした。ビニルが噛んでいなかったので再施工は止めにしました。

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 ちなみに、本試験の合格率は筆記60%、技能70%の比較的易しい国家試験です。これが私の「第二種電気工事士」合格記です。66歳の挑戦でした。終わりよければ全てよし。
以上


 

フォレスタクリエーションの買収

フォレスタクリエーションの買収失敗について備忘しておきます。今でも、時折、当時を思い出して反省しています。

買収の布石は、亡き中島さん(コンサル)と、千葉の居酒屋での会食に遡ります。和光店開業、東京ガススポーツの買収とまずまずの成功を収め、自信に溢れているときの面談でした。「どこか良い買収物件ありませんか?中島先生の前職のフォレスタいかがでしょうか?」中島さんからは、明快な答えはなかったと記憶していますが、否定もしませんでした。それから半年後に金融機関からフォレスタの打診がありました。それに飛びつきました。親会社はそれまでの成功で、応援の姿勢でした。実際に何度か施設見学もして、ひっかるものがありましたが、強行してしまいました。ひっかかるものとは、施設の老朽化でした。競合も気になりましたが、駅から近いので頭から消し去りました。さらに買収の途中で、2社の競合が発生したので、さらに買収の要求が高まりました。(今思うと金融機関の嘘だったかもしれません)結局、10億円を超える金額にせり上がりました。

その時に二人の反対者がありました。私の部下、AKさんと前職の会社の後輩、MK氏です。「良い案件ではない」「本当に大丈夫?」の意見を私は無視しました。「私は、ツイてるから大丈夫!」 また、考え直す機会は何度もありました。相手のエージェントから、最も古い施設抜きでもよい」との話もあったのに、これも無視。ただただ規模拡大に邁進していました。

買収後、それまでの外注業者(テニスやショップ)を全て排除、1ヶ月以上も休業、過大なリニューアルなど、今思うと狂人に近い判断でした。「新しい酒は新しい裘に盛れ」と妄信していました。

結果はご存じの通り14億円の損害を蒙りました。この損害を埋めるのに、指定管理、介護予防で5年近くかかりました。痛恨の判断ミスでした。

親会社のS社長に撤退の報告をしました。

「いくらの損害か?」

「14億円です。」

「そんなものか、来期、単年度で黒字か」

「はい」

縮小均衡は事業家ではない、こういうときこそ新しい事業を考えなさい。個人的に責任をとるつもりか?」

「そのように考えています」

「君一人で投資を決めたのではない、ここにいる役員も含めて私が決めた。君に責任をとらせたら、以後、当社で新規事業を志す人間はいなくなる」

S社長の温かい言葉に救われました。

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松戸店

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本八幡

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行徳店

 

フィットネスとコロナ

米国のスポーツジムチェーン「24アワー・フィットネス」が連邦破産法第11条の適用を申請(日本の民事再生)したのには本当に驚きました。

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先日、フィットネス業界の人とコロナの話をしました。概ね、総合型フィットネスクラブは売上高3割減で、軒並み赤字転落だそうです。固定費が高い収支構造ですから3割減れば赤字は必至です。
さらに幽霊会員が辞めて利用率は上昇中だそうです。これまで幽霊会員の会費で成り立っていたビジネスモデルが崩れかかっています。何度使っても月会費は同額という、これまでのモデルでは、利用率が30%を超えると混雑で新規会員募集が難しくなります。三密防止で、スタジオやランニングマシンでの利用吸収が難しくなっています。(収容キャパ減発生)
その対応として、各社、コスト削減と補助金獲得に走っているそうです。家賃減額の要請、外注の内部化、雇用削減などで経費圧縮を徹底的にすすめています。正社員の多い企業では雇用調整助成金をフル活用しているそうです。
岡目八目で眺めてみると、今後、市場規模の縮小、企業再編(買収と倒産)、イノベーションが予想できます。特に資金の少ない独立企業体は正念場を迎えることになるでしょう。この時期に経営していない私は、個人的には幸運だったかもしれません。(申し訳ありません)
都度料金制への一部移行が必要かも知れません。マニア系のジム、スイミング、予約制のジム・スタジオは比較的強いようです。転換に時間と資金が必要ですが、そこにシフトするのも一方法です。ネット指導はマネタイズが難しく、成功者が少人数の可能性が高いと思います。介護予防運動に走るのは需要が底堅いので、よいかもしれません。指定管理者になって、しのぐというのも一方法です。
問題は資金繰りです。企業の究極の目的は「存続」です。この難局で経営者の実力が大いに試されます。社長、がんばれ!

介護予防事業

フォレスタクリエーション買収に失敗して、もう大きな投資を親会社はしないと結論づけました。指定管理に大きく経営の舵をきりました。指定管理は期間限定ですが、施設への投資がないので継続可能です。その中で行政との繋がりが深くなり介護予防事業にも参加するようになりました。健康運動指導士の資格取得促進や管理栄養士の採用、看護師派遣会社との契約など、その時々で対処しました。シフトを含めた人事問題や、派遣しやすい案件の発見など幾多のハードルがありました。「転倒骨折予防教室」など、川崎市横浜市横須賀市高槻市茨木市など、直営店のそばでのみ提案書を提出、獲得しました。結果として億を超える売上と50%を超える利益率を確保し、会社全体の業績アップにつながりました。私の経営では成功の部類です。また児島部長の提案で、介護予防専用のユニフォームをダダグラム岩男さんにデザインしていただくなど、モチベーション向上策も行いました。当時のプログラム担当、久保田さんが素晴らしい提案書を書いて、私が監修、価格決定しました。

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運営受託

明治スポーツプラザは、直営店、指定管理施設運営の他に、運営受託もやっていました。それぞれに物語があります。忘れてしまったことも多いのですが、2001年頃、海浜幕張東京海上の「エランスポーツクラブ」を3年ほどやりました。2008年頃、楽天本社内のフィットネスエリアの運営受託を1年間ほどやりました。広島の「リンクス」も1年ほどやったように記憶しています。2009年頃、横須賀サブアリーナ・くりはまなど横須賀の受託を2年ほどやりました。セイジョーさんの小型施設(ジムのみ)も2店舗やりました。徳之島の案件に手を出したり、いろいろ取り組んでいました。良い思い出ばかりではありませんが、追々書いてみます。

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エルローズ

社長なりたての2004年春頃、突然、福井のエルローズの社長からコンタクトがありました。住友銀行の福井支店長と一緒に川崎本社を訪れました。「福井市内でフィットネスクラブを新設したいがコンサルをお願いしたい」とのことでした。エルローズは、身体障害者用の下着を製造するメーカーで、安売り酒販店に参入するなど、たたき上げの凄い方でした。
毎月100万円の報酬の契約を結び、同年9月、現地調査に福井に出張しました。3000坪の土地に建坪1000坪以上の総合型フィットネスクラブを建設する計画です。引きこもりの息子さんへのプレゼントのようでした。
役員列席の酒宴で、社長からザバス成功の理由を問われました。「第一にお客に恵まれたこと、次に従業員に恵まれたこと、さらに運に恵まれたことです。付け加えれば、私が気の小さい人間だからです」と答えたところ、役員たちを諭すように「私のまわりの事業家たちで豪胆な人間は皆倒れた、今日の石原さんの言葉を忘れないように」と賛辞をいただきました。その後の買収失敗を考えると穴に入りたいほど恥ずかしいです。写真はエルローズ本社です。
結局、6ヶ月ほどでプランは立ち消えになりました。健康食品(らっきょう、ミストサプリ)でエルローズのために投資したので、あまり儲からなかったことを覚えています。

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逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎かず

 旧い友人が肺がん宣告を受け治療しています。今日は、生死について考えます。先日読んだ「還暦からの底力」(出口治明著)には「死んだら物質に戻り地に帰る。そこに感傷の入り込む余地は全くありません。」と身も蓋もない論でした。そうであっても、せめて心に残る友人、先輩、後輩のレクイエムを残します。生きた証はせめて私が生きている間は有効です。

 47年前に一緒に明治製菓に入社した薬剤師の占部君(享年37歳)。九州男児で男前、「俺、石原みたいに頭良くないけど一緒に頑張ろう」といつも言っていました。2ヶ月、百合ヶ丘の研修所で一緒に暮らしました。短い間に無二の親友となり、お互いの結婚式に出席しました。
 30年前、東京支店に勤務しているとき一枚のファックスが来ました、占部なにがしの死亡通知でした。「父親がなくなったのかな」と思いましたが、よく読んでみると本人の死亡通知でした。衝撃でした。
 葬式には間に合いませんでしたが、九州に飛び、奥様に面談、焼香。壮絶なガン治療の有様と残された一人息子の行く末の不安を聞きました。奥様とは、今も年賀状の交換をしています。「何かあったら何でも相談してください」と毎回書いています。息子さんは京都の大学を出て成人、奥様は今筑波で暮らしているようです。一度も相談はありませんでした。

 明治製菓薬品東京支店、里見さん(享年62歳)。ある日曜日、仕事が間に合わず出勤、里見さんも出勤していました。ゆっくり話したのはその日がはじめてでした。元組合の委員長で人間的にとても練れた方でした。「石原君は、黒白はっきりさせるのが好きなようだが、灰色という選択肢がある。何もしないという選択肢もある」その日は、午後か夜遅くまで、ひっそりとしたオフィスで延々と語り合いました。その日からことある毎に里見さんのところに行って雑談するのが日課になりました。
 定年後、すぐに土地建物取引主任の資格を取得して仕事を始めた矢先、奥様から死亡の連絡がきました。もう27年くらい前のことです。里見さんは桐原さんに次ぐ第二のメンターで今でも私の思考の中心です。 

 明治製菓の後輩の高尾君(享年34歳)。よく飲みにいきました。パソコンソフトの操作法も教えてあげました。高尾君は、はじめ千葉でプロパーをしていましたが、後に本社で制がん剤の開発部署で働いていました。
 30年ほど前、肺がんで死亡しました。ある日、入院している病院にお見舞いに行きました。呼吸が苦しそうで咳こんでいました。「また、銀座のルパンに行こう」と励ましました。別れ際に彼の手を握りました。「私を連れて行かないでね」は余計な想念でした。霊柩車は明治製菓本社を一周しました。そして彼の実家広島での葬式に参列しました。父上から「再婚の確執で仲違いをしていたが入院中に一緒に寝て、氷解したのがせめてもの救いだ」と述べておられました。