62歳からの楽しい起業

ロビームにまつわる研究内容や所感を日々記録します。

エルローズ

社長なりたての2004年春頃、突然、福井のエルローズの社長からコンタクトがありました。住友銀行の福井支店長と一緒に川崎本社を訪れました。「福井市内でフィットネスクラブを新設したいがコンサルをお願いしたい」とのことでした。エルローズは、身体障害者用の下着を製造するメーカーで、安売り酒販店に参入するなど、たたき上げの凄い方でした。
毎月100万円の報酬の契約を結び、同年9月、現地調査に福井に出張しました。3000坪の土地に建坪1000坪以上の総合型フィットネスクラブを建設する計画です。引きこもりの息子さんへのプレゼントのようでした。
役員列席の酒宴で、社長からザバス成功の理由を問われました。「第一にお客に恵まれたこと、次に従業員に恵まれたこと、さらに運に恵まれたことです。付け加えれば、私が気の小さい人間だからです」と答えたところ、役員たちを諭すように「私のまわりの事業家たちで豪胆な人間は皆倒れた、今日の石原さんの言葉を忘れないように」と賛辞をいただきました。その後の買収失敗を考えると穴に入りたいほど恥ずかしいです。写真はエルローズ本社です。
結局、6ヶ月ほどでプランは立ち消えになりました。健康食品(らっきょう、ミストサプリ)でエルローズのために投資したので、あまり儲からなかったことを覚えています。

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逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎かず

 旧い友人が肺がん宣告を受け治療しています。今日は、生死について考えます。先日読んだ「還暦からの底力」(出口治明著)には「死んだら物質に戻り地に帰る。そこに感傷の入り込む余地は全くありません。」と身も蓋もない論でした。そうであっても、せめて心に残る友人、先輩、後輩のレクイエムを残します。生きた証はせめて私が生きている間は有効です。

 47年前に一緒に明治製菓に入社した薬剤師の占部君(享年37歳)。九州男児で男前、「俺、石原みたいに頭良くないけど一緒に頑張ろう」といつも言っていました。2ヶ月、百合ヶ丘の研修所で一緒に暮らしました。短い間に無二の親友となり、お互いの結婚式に出席しました。
 30年前、東京支店に勤務しているとき一枚のファックスが来ました、占部なにがしの死亡通知でした。「父親がなくなったのかな」と思いましたが、よく読んでみると本人の死亡通知でした。衝撃でした。
 葬式には間に合いませんでしたが、九州に飛び、奥様に面談、焼香。壮絶なガン治療の有様と残された一人息子の行く末の不安を聞きました。奥様とは、今も年賀状の交換をしています。「何かあったら何でも相談してください」と毎回書いています。息子さんは京都の大学を出て成人、奥様は今筑波で暮らしているようです。一度も相談はありませんでした。

 明治製菓薬品東京支店、里見さん(享年62歳)。ある日曜日、仕事が間に合わず出勤、里見さんも出勤していました。ゆっくり話したのはその日がはじめてでした。元組合の委員長で人間的にとても練れた方でした。「石原君は、黒白はっきりさせるのが好きなようだが、灰色という選択肢がある。何もしないという選択肢もある」その日は、午後か夜遅くまで、ひっそりとしたオフィスで延々と語り合いました。その日からことある毎に里見さんのところに行って雑談するのが日課になりました。
 定年後、すぐに土地建物取引主任の資格を取得して仕事を始めた矢先、奥様から死亡の連絡がきました。もう27年くらい前のことです。里見さんは桐原さんに次ぐ第二のメンターで今でも私の思考の中心です。 

 明治製菓の後輩の高尾君(享年34歳)。よく飲みにいきました。パソコンソフトの操作法も教えてあげました。高尾君は、はじめ千葉でプロパーをしていましたが、後に本社で制がん剤の開発部署で働いていました。
 30年ほど前、肺がんで死亡しました。ある日、入院している病院にお見舞いに行きました。呼吸が苦しそうで咳こんでいました。「また、銀座のルパンに行こう」と励ましました。別れ際に彼の手を握りました。「私を連れて行かないでね」は余計な想念でした。霊柩車は明治製菓本社を一周しました。そして彼の実家広島での葬式に参列しました。父上から「再婚の確執で仲違いをしていたが入院中に一緒に寝て、氷解したのがせめてもの救いだ」と述べておられました。

 

メイカ 2008年3・4 vol.504

明治製菓の社内報メイカvol.504の特集「もっと知りたい国内グループ会社」に、明治スポーツプラザ、道南食品が取り上げられています。当時は千葉が惨憺たる状況で心穏やかではない時期でした。精一杯、見栄をはっています。

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「2007年春、千葉に3店舗オープン、直営10店に!」「2008年1月、全店にサプリメント付き会員制度を導入」

「夢が叶うマイクラブ」の実現に向け「DASH!08」最終年度もまい進します。「食とスポーツの融合」は当社の礎。土を十分に耕し、植えた苗を力強い、そして他にはないおもしろい味を持つ大木の育てることで、会員さん3000名の夢を叶えます。

 

ジャロッズ

2003年から2004年にかけて、宇都宮の郊外、民間フィットネスクラブ「ジャロッズ」の立ち上げと運営(集客含む)のコンサルティング業務を受託しました。設計の段階から川崎ザバスの経験をふんだんに取り入れていただきました。事前準備に明治スポーツプラザの社員(清水さん)を常駐させました。フロント指導は児島さんでした。経営者の堀江社長ならびに奥様はとても人柄がよく話しているだけで楽しくなる方たちです。奥様は地元のお金持ちのお嬢様で社長は婿養子です。とても仲の良いご夫婦です。その後もお付き合いは続いており数年前に宇都宮市内で昼食をともにいたしました。お元気な様子でほっとしました。

コンサル終了後、傍らにスーパーが建設され賑わいもでてきて集客も安定、温浴施設も充実しており、お客様の評判もとても良かったようです。残念なことに、2011年、東日本大震災のときにプール天井が崩落するなど大打撃を受け、改修を断念、そのまま廃業しました。実に残念な結果でした。

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はじめての社員旅行

1996年3月、「ザバススポーツクラブ」(川崎)のスタッフを引き連れて千葉房総、社員旅行を行いました。前年は、開業直後の怒濤の一年でした。罪滅ぼしの旅行でした。「新しい酒は新しい裘に」などとバカなことを考えていたせいで、この旅行に同行した初期メンバーに多大な迷惑をかけました。私は取締役、店長でした。開業前計画の直前変更、カード作成不備、事故対応のまずさ、などなど、若気の至りでした。経験無視でした。リーダーがバカだと部下は酷い目に遭う典型でした。今でも大いに反省しています。

この旅行は、ようやく陰影が落ち着いて、自信を取り戻した頃です。私としては実に楽しい旅行でした。みんな元気で暮らしているかなあ…

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五十鈴市民プール

 明治スポーツプラザは、(水泳指導)と共同で五十鈴市民プールを運営受託(指定管理者)していました。

 2009年5月、新型インフルエンザ蔓延の影響で茨木市から運営中止の要請がありましたが、自粛期間中に水泳指導を実施していたことが発覚し大問題になりました。市民からの通報でした。

 早速、調査をしたところ、水泳大会に出場予定の選手指導で、保護者からの了解は得ていたものの、違反事実があることが判明しました。現場責任者の降格、管理者の処分(訓告)とともに茨木市に謝罪と改善を表明しました。

 市議会での追及は、他の大きな問題もあり比較的軽微でした。穏便な処分で済んだのは僥倖でした。私は社長として明治製菓役員から口頭で「厳重注意処分」されました。社長として深く反省いたしました。その後、サンメニティとの共同提案はしないことにしました。

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顧問

「顧問」という肩書きはあってないような、どうでもよい肩書きです。62歳で起業してから3社の顧問の肩書きをいただいています。元新聞記者の肩書き名刺を見たときには驚きました。それよりは実質があるような気がします。名刺の重みは、サラリーマン出身者にはよくわかります。ちょっと嬉しい自分が恥ずかしくもあります。皆さんの役に立てたらいいなあ…と思う今日この頃です。

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